top of page
検索
  • 執筆者の写真井上大辅

だけじゃない気合い

更新日:2021年3月29日

「気合い」という言葉には要注意だ、と思っている。

創作が上手く進まないことはよくあるが、その状況を好転させるためだとしても「気合い」という言葉は使わないように心がけている。

その一方、あとはもう「気合い」しかない、という時もある。それでも「気合い」という言葉で片付けないようにする。


ダンスにおいて「気合い」とは。

例えば、厳しい姿勢や激しい運動に耐えるために必要な精神。

例えば、創作活動という未知なる自己の探求、それへの恐れや不安に付き合い続ける心の持久力。

辛抱や我慢を必要とされる時に「気合い」が持ち出されることが多い。


しかし、「気合い」はどこまでいっても精神や心にまつわる実像のない言葉だから、身体の具体的な解決には繋がっていかない。そして、その人に「気合い」が入っているかどうかを他人が評価するのは不可能だ。

どうすれば厳しい姿勢や激しい運動をやり切ることができるか。

どうすれば創作活動での不安や恐れをプラスに変えていくことができるか。

こういう課題について、稽古の中で実際に身体を動かし、対話をつぶさに繰り返していくことが、「気合い」という言葉を使わずに創作を良い方向に進めていくことになると考えている。


稽古場で「気合い」なんて言葉を口にしたとしても、それは相手に伝えなければならないことの入口ぐらいの役割にしかならず、ハッキリとした言葉を慎重に選んでやり取りすることが不可欠だ。「気合い」という言葉はぼんやりしていて汎用性が高いが、ダンスに身体の実感という具体を求める私にはどうも信用しきれない言葉だ。


ぼんやりとした言葉は使い勝手がよく、ぼんやりとした言葉を使って過ごす日常は、ぼんやりとした時間になる。創作の中で降りかかる辛抱や我慢、恐れや不安に押しつぶされないためには、ハッキリとした言葉を連ねていくことが盾になるのではないか。今後も、このブログは私の創作活動の盾になる言葉で綴っていきたいと考えている。

最新記事

すべて表示

たった1人の非常勤の難民審査員参与の柳瀬房子に1年半で500件もの難民審査をさせたのは、あなた? (「一般論として、1年6ヵ月で500件の対面審査を行うということは不可能」と法務大臣に言わせたのが誰か、は知っている。あなたではない。) そんな不可能を可能にする柳瀬の「難民申請している人の中で難民なんていない」という発言を立法事案(法案作成の根拠)として審議させてきたのは、あなた? 行政府の長の長男

今日は書きづらいことを書こう。 なぜ書きづらいのかと言うと、恥ずかしいから。 筋トレしてるなんて言うのは恥ずかしいよ。 世間では筋トレが流行っているようだが、私は流行りとしてではなく、必要に迫られて始めた感じが強い。コロナ禍で上演機会がなくなってしまったから。 コロナ感染のリスクを負ってまで舞台にしがみつきたくはない。でもダンスにはしがみついていたい。コロナ禍を、上演なしダンサーとして過ごしていく

外出している時、最低でも1度は不安な妄想をする。 例えば、工事現場の前を通るたび、瓦礫が飛んでくる、工事車両が突っ込んでくる、みたいな妄想をして、気構えをする。今この瞬間に大地震が起きたらどうすべきか。どこかから突然ミサイルが飛んできたら。 こんなふうなことが頭をよぎったりする瞬間があるのだが、かといって普段から鬱々としているわけでもないし、神経質に暮らしているわけでもない。身を一瞬たじろがせ、後

bottom of page