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  • 井上大辅

コロナ禍に立ち向かう事業者の取組み事例として

時の経過が早いのか、私の更新が鈍いのか、本年最初のブログはもう3月も後半に入ろうかというタイミングになってしまった。「明けましておめでとう」という浮わついた気持ちはどこに行ってしまったんだろう。そもそもコロナ禍では「おめでとう」の気分は毎年どんどん薄まってきていたけれど、今年の「おめでとう」を言う機会を逃していた間に、世界はさらに酷いことになってしまった。1日1日を生きることが毎年どんどん命がけになってきている。


このコロナ禍で、私は舞台の活動の一切を控えている。もう丸2年も舞台に立っていない。

ある予測では、今後3年くらいはコロナ禍が続くという。そう耳にした時、さすがに私も憔悴して一瞬混乱した。

感染症対策の基本は、徹底した検査と陽性者の隔離・保護だと思う。徹底した検査と感染者の保護ができていれば、自身の健康状態に不要な不安を抱くこともないし、素早い対応がとれれば経済的な損失も減らすことができる。(そもそも、人の命があっての経済なのだからこの言い方はおかしいと思っているが)


このような体制が整えば、私も公演に向けてようやく動き出すことができる。

…でもそれは無理だね、この国では。日本は、日本人の総意で沈んでいると思う。泥舟日本列島では、徹底した検査と陽性者の隔離・保護は夢物語。


あと3年は続く「かも」しれないコロナ禍。

ああ、もしかしたらこのまま私はダンス公演なんてできなくなるかもしれない。そんな気がしてきて、頭が真っ白になりかけた。

でも、なんとか持ちこたえた。パニックに陥らず、陰謀論にも墜ちず、反ワクチンにも反マスク主義者にもなることなく、持ちこたえることができた。


自分の理想とする日常生活が叶わない時、人はそれを他者のせいにしたりする。陰謀に縋り、コロナはただの風邪と思い込んでみたりすることで、抑圧から心の解放を試みるんだな…と感じてきた丸2年。

陰謀はその真偽を誰も証明することができない。陰にある謀りごとであるからこそ暗く輝き、陰謀論者はその暗い輝きに魅了される。陰謀そのものにばかり気を取られ、自身の行動原理が他者や自分を傷つける方向性になっても、当人はそのことに目を瞑って、抑圧からの一時的な解放をひたすら求め続ける。


私だって、これからの数年間を想像して絶望しかけた。でも、持ちこたえることができてよかった。こういう厳しいところでちゃんと踏みとどまれなければ、いずれ家族をコロナに感染させてしまうかもしれない。コロナの後遺症で、美味しいものや楽しいものを奪われてしまうかもしれない。ここで持ちこたえられるかどうかは大きな分岐点だと考えている。


自分を持ちこたえることができたとて、ダンス活動への不安が全て解消されたわけではない。でも、命が関わる大きな不安と向き合い、冷静に考えることで、新たなダンスの目標も生まれた。(それはこういうところで、ついでのように気軽には言わない)だから、今年も本番が無くても充実したダンスライフを過ごせる気がする。そう信じることができる。


そんな今、「何かが明けましておめでとう」と言える気になった。

私の日の出。明るいほうへ。

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「いい加減、黙っているわけにもいかないぞ!自分の創作活動のためにも、言葉を発信しなさい!」と自分を焚きつける気持ちと、 「けれども、世の中であまりにいろんなことが起きすぎていて、何かを言葉にするのは鬱陶しい…」というような気持ちが綯い交ぜだ。 相変わらず舞台には立っていない。次に舞台に上がる時は、私は新人のような気持ちで初々しく公演をする、かもしれない。 会場にわざわざ足を運んで観たいと思う公演も

というのは私の持論ではなく、最近読んだ本の中の一節。数百ページある本の中のこの一節が、私が私と向き合う大きなきっかけを与えた。それを書いてみようと思う。 自分とダンスが歩んできたこれまでを「夢」と「憧れ」をキーワードに検証してみる。 ダンスをやりたいと思ったのは、初めてダンスを体験した時の充実感が他の何にも代え難いものだったからだ。そういう体験から、生涯踊り続けたいという「夢」へと展開していった。

今年も、時間を積み重ねてきた。 上演機会はなかったが、限られた時間をともに大切に過ごした。 他と比べるなんて馬鹿馬鹿しい。 お前はお前だ。 逃してはいけない時間をしっかり掴まえていたい。 家族はお前だ。 俺のことなんか後回しにできるくらい、 そしてお前がお前であることを愛せるくらい、 家族とお前に感謝する1年だった。