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  • 執筆者の写真井上大辅

咳ネットワークサービス

更新日:5月2日

劇場には3年くらい行っていない。

健康を脅かす可能性を捨て置いてでも行くほどの価値、について考えていたら行かなくなった。

そんな自分が劇場についての記憶を辿ると思い出したもの。それが咳。


例えば、演劇の公演。開場中は音楽が鳴ったり、観客の出入りもあり、期待と心配の混ざった緊張感が場内のざわつきに表れる。開演時刻になり、観客に「観る時間」が訪れ、静寂に包まれたその瞬間に劇場に響くもの。それが咳。

ダンス公演。音楽と共に様々なダンスシーンが展開していった後に突如やってきた音のない静かなシーンで響く環境音。それも咳。


精神の緊張と緩和が絡んだ生理的な現象、なの?

沈黙が苦手なだけでしょ。


これと同じような、要するに咳のようなものを近年よく目にするようになった。

それがSNS。

ある人がSNSで呟く。それは咳のようなもの。

それに対してある人が、賛、否、誹謗中傷。これも咳。応答する咳。


SNSの世界もけっこうな劇場だ。そこに入った途端、人は沈黙に耐えられなくなる。

ただ、SNSの劇場は実際の劇場とは違って、どれだけ咳をしてみても誰かが聞いてくれているという実感が湧かない。いいねやリプライがなければ、無視されているように感じてしまう。

SNSの劇場では、自分の孤独ばかり強く感じられてしまう。何より実感があることだから。

そして、自分の孤独を打ち消そうと、できるだけ大きな咳を、唾を、ウイルスを撒き散らしたくなってしまう。「自分は元気にやってるよーみんなもこっちにきてー」と大きくゴホゴホ。

ケータイひとつ、どこでも開けるSNSの劇場、コスパがいいね!


実際の劇場は、咳をしたら他の全ての観客と演者が聞いてくれている。

とりあえずは、あなたのその咳を黙って受け入れてくれる。劇場はあなたの孤独もきっと受け止めてくれる。

劇場はそんな場所。古くさっ!(古臭さも大事だよね)


自分は孤独にもコロナにも感染したくないから、SNSも気をつけるし、劇場にも行かない。

まだしばらくサヨナラ劇場。










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