top of page
検索
  • 執筆者の写真井上大辅

構えない創作活動365

去年は確か365日くらいあったと思うんだけど、私がブログを書いたのは3回。

結構な頻度で書けたと思うけど、若干の申し訳なさが身体の中を漂っている。

書いてみたいことはいろいろあるけど、どれも政治や社会に対する不信感にいきがち。

そういうことよりももっと自分のダンスに近い話をしたい!…そんなふうに考えていたら年3回になった。

自分のダンスに近い話なんて言ってるけど、政治や社会を切り離して自分のダンスを考えることはできない。

それに、自分のダンスの為に実はこんなトレーニンングしてます、とか書くほうが不信感だらけの文章よりもっと恥ずかしい。


我が家の美味しい晩御飯の話でもするか?→こんな大切なこと他人に教えたくない。

子育て奮闘記でも書くか?→こんなプレジャーな時間を誰かとシェアしたいなんて思わない。


じゃあ、どんな目的でブログ書くのか。これはある種の創作活動だ。


今年は(最低でも)毎月1回は更新することに決めた。

(とかいって、早速2月入っちゃってる。無理な創作は身体を痛めるから、無理のないペースでってことで許しちゃお!)


最新記事

すべて表示

外出している時、最低でも1度は不安な妄想をする。 例えば、工事現場の前を通るたび、瓦礫が飛んでくる、工事車両が突っ込んでくる、みたいな妄想をして、気構えをする。今この瞬間に大地震が起きたらどうすべきか。どこかから突然ミサイルが飛んできたら。 こんなふうなことが頭をよぎったりする瞬間があるのだが、かといって普段から鬱々としているわけでもないし、神経質に暮らしているわけでもない。身を一瞬たじろがせ、後

劇場には3年くらい行っていない。 健康を脅かす可能性を捨て置いてでも行くほどの価値、について考えていたら行かなくなった。 そんな自分が劇場についての記憶を辿ると思い出したもの。それが咳。 例えば、演劇の公演。開場中は音楽が鳴ったり、観客の出入りもあり、期待と心配の混ざった緊張感が場内のざわつきに表れる。開演時刻になり、観客に「観る時間」が訪れ、静寂に包まれたその瞬間に劇場に響くもの。それが咳。 ダ

誕生日というものが好きじゃなかった。おめでとうとか言われたくない。サプライズとか寒気がする。毎回どう迎えたらいいのか分からない。何かの試練かと思うほど、誕生日というものを全然好きになれなかった。 好きになれない原因の1つは私が夏生まれだったこと。誕生日が夏休み中になってしまう私のような人間は、2学期の始業日に紹介される。業務連絡の事後報告のようなドライさが際立って、お祝いのイベントに感じられなかっ

bottom of page