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  • 井上大辅

絶対に切り離さない

家の近くに公共のスポーツ施設があって、そのグラウンドでは老若男女が野球やサッカーで汗をかいている。遠目に見えるテニスコートでは、大学生が部活動に汗をかいている。

野球の監督やキャッチャーのサイン。サッカーの足捌きや球際の競り合い。テニスのラケットで返球する時の捻りや重心移動。

ダンスに必要な身体の強さ、振付のアイディア、ハッキリとした達成目的(球を打ち返す、ボールをゴールに入れるなど)への身体的な工夫を感じる。ダンスにおける身体性に様々な角度からフィードバックすることができる。


人の日常生活をフィジカルな感覚で見ていると、ダンス的な魅惑を感じることが私には多々あるが、それとは反対に、ダンスを観ることで、観た人自身の(スポーツを含む様々な)日常生活での新たな発見に繋がったりする人はいるのだろうか。それとも、ダンスは非日常的な身体表現ということで、日常生活からはみ出たものとして扱われるのだろうか。


そんなことをブログで書こうと思案していたら、緊急事態宣言でグラウンドから人がいなくなった。不安やストレスを抱えて1年暮らしてきて、さらにまた補償のない我慢を強いられている。多くの人が悲しみや憎しみを抱いて過ごすであろう、これからの時間。私も例外ではない。

しかし、そこにもダンス的な魅惑が潜んでいるように思える。私たちの日常は、フィジカルだけではなく、メンタルも充分にダンス的な魅惑を持っている。スポーツに汗を流すポジティブさも、思うようにスポーツができないネガティブさも、ダンス的な魅惑になる。

いつかまた舞台で踊れる日が来たら、この月日の体験をふんだんにダンスに投影するつもりだ。


私はそうやって、どんなことがあっても日常とダンスを切り離さないようにして生活していく。そして、観た人が「日常とダンスを切り離さないようにしたい」と思うダンスを私は踊りたい。

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というのは私の持論ではなく、最近読んだ本の中の一節。数百ページある本の中のこの一節が、私が私と向き合う大きなきっかけを与えた。それを書いてみようと思う。 自分とダンスが歩んできたこれまでを「夢」と「憧れ」をキーワードに検証してみる。 ダンスをやりたいと思ったのは、初めてダンスを体験した時の充実感が他の何にも代え難いものだったからだ。そういう体験から、生涯踊り続けたいという「夢」へと展開していった。

時の経過が早いのか、私の更新が鈍いのか、本年最初のブログはもう3月も後半に入ろうかというタイミングになってしまった。「明けましておめでとう」という浮わついた気持ちはどこに行ってしまったんだろう。そもそもコロナ禍では「おめでとう」の気分は毎年どんどん薄まってきていたけれど、今年の「おめでとう」を言う機会を逃していた間に、世界はさらに酷いことになってしまった。1日1日を生きることが毎年どんどん命がけに

今年も、時間を積み重ねてきた。 上演機会はなかったが、限られた時間をともに大切に過ごした。 他と比べるなんて馬鹿馬鹿しい。 お前はお前だ。 逃してはいけない時間をしっかり掴まえていたい。 家族はお前だ。 俺のことなんか後回しにできるくらい、 そしてお前がお前であることを愛せるくらい、 家族とお前に感謝する1年だった。