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  • 執筆者の写真井上大辅

家でイマジン


自分が子供だった頃、まだ薄型テレビは出始めで、

テレビといえば、奥行きのある箱型のズシンと大きいものでした。

ブラウン管には海外の様子が映し出されるけど、

「いま自分が見ている空と海外の空は同じ色なんだろうか」と

ズシンと大きな箱の中の、そのヴィジュアルが信じられなくて、

実際に海外に行くまで、ずっと疑っていました。

自分が子供だった頃、日本が嫌で、日本から出て行きたいなんていう気持ちや、

まして、住む場所を自分で変えることができるという可能性があることを知りませんでした。

国境こそあれど、昔よりも気軽に日本の外に行くことができます。

あるいは、身体は日本にいても、

海外の出来事を簡単に、ほぼリアルタイムで知ることができます。

ウイルスは私たちの身体の中(主に肺)を観光地にして、世界中を巡っています。

SNSのように気軽にやって来た、ウイルスの観光による世界的サバイバル。

このグローバルな現代で、久しぶりに国境というものを意識しました。

記憶の中から、今まで行ったことある国の空を思い起こして、

そこで知り合った人たちを想像します。

みんなが無事であることを願います。

日本の政府の対策は最悪です。

でも、私たちは頑張っています。

トップがポンコツ集団なので、お互いに援助しあったりしながら乗り切ろうとやっています。

この混乱が収束する頃、私たちは疲れ切っているかもしれません。

そんな時が来ても、ダンスをすることに意義を持てるように生きていきたい。

演劇よりもお笑いよりも音楽よりも、ダンスは根源的な身体表現です。

ダンスは、身体とコミュニケーションにおける本質的な姿です。

2020年12月に予定している本番は、無事に上演できるのか。

未だどうなるか分かりません。

先行きは見えず、誰も示してくれませんが、

私は想像します。できるだけ具体的に。

たとえ、それが希望的なものでなくても。

私は想像します。

頭の上には、ただ空があるだけだ。

同じ空の下、同じ身体を有している。


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