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  • 井上大辅

TSUBA


トラウマならぬ、ネコポニーの話(千原ジュニア)から思い出したことがある。

正確には定期的に思い出すことなのだが、

小学校の社会科見学で国会議事堂に行った時の話だ。

議事堂の前で、整列して座って待機していたら、

1人の特別支援学級の子が、列から飛び出し、

声を発しながら議事堂の入口の方へ走っていった。

議事堂の前には警備員つまり警官が数人並んでいて、

その姿を見るだけでも怖い感じがしていたが、

さらに、飛び出した子に向かって警官の1人が怒鳴った。

そして、先生が数人がかりでその子を慌てて捕まえて、列に引き戻した。

『臭いものには蓋をしろってことか』

私の担任の山崎先生が小声で隣の先生に呟いた。

警官の怒鳴り声にも、先生の一言にも驚いた。

なぜ私たちが怒鳴られなきゃならないのか。

そして、なぜ私たちは『臭いもの』なのか。

山崎先生は、飛び出したのが普通学級の子だったら、

その子を叱って、それで終わらせていたかもしれない。

特別支援学級の子だったから、ああいう発言に至ったのだ。

と、私は当時から結論づけている。現在も同じように考えている。

飛び出したその子に直接話しかけることもなく、遠巻きな距離感。

山崎先生は毎朝校内をジョギングしていた。1日も休まずに。

そして毎ランニングで、ツバを吐いていた。校内で。生徒が掃除する校内で。

山崎先生は1日も休まず、校舎に唾を吐いていた。

それ以来、歩きタバコと歩きツバ吐き、歩きレッドブルをする人に遭遇すると、嫌な気分になる。

私にとっての『臭いもの』。

しかし大事なのは、私のダンスを観に来る人の中に、そういう人がいるかもしれないということだ。

劇場はそういう場所だ。

『臭いもの』などと知らんぷりはできない。


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「いい加減、黙っているわけにもいかないぞ!自分の創作活動のためにも、言葉を発信しなさい!」と自分を焚きつける気持ちと、 「けれども、世の中であまりにいろんなことが起きすぎていて、何かを言葉にするのは鬱陶しい…」というような気持ちが綯い交ぜだ。 相変わらず舞台には立っていない。次に舞台に上がる時は、私は新人のような気持ちで初々しく公演をする、かもしれない。 会場にわざわざ足を運んで観たいと思う公演も

というのは私の持論ではなく、最近読んだ本の中の一節。数百ページある本の中のこの一節が、私が私と向き合う大きなきっかけを与えた。それを書いてみようと思う。 自分とダンスが歩んできたこれまでを「夢」と「憧れ」をキーワードに検証してみる。 ダンスをやりたいと思ったのは、初めてダンスを体験した時の充実感が他の何にも代え難いものだったからだ。そういう体験から、生涯踊り続けたいという「夢」へと展開していった。

時の経過が早いのか、私の更新が鈍いのか、本年最初のブログはもう3月も後半に入ろうかというタイミングになってしまった。「明けましておめでとう」という浮わついた気持ちはどこに行ってしまったんだろう。そもそもコロナ禍では「おめでとう」の気分は毎年どんどん薄まってきていたけれど、今年の「おめでとう」を言う機会を逃していた間に、世界はさらに酷いことになってしまった。1日1日を生きることが毎年どんどん命がけに