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  • 執筆者の写真井上大辅

誕生日おめでたくなってきた

誕生日というものが好きじゃなかった。おめでとうとか言われたくない。サプライズとか寒気がする。毎回どう迎えたらいいのか分からない。何かの試練かと思うほど、誕生日というものを全然好きになれなかった。


好きになれない原因の1つは私が夏生まれだったこと。誕生日が夏休み中になってしまう私のような人間は、2学期の始業日に紹介される。業務連絡の事後報告のようなドライさが際立って、お祝いのイベントに感じられなかった。一度だけ、夏休みの前か後に担任の先生から小瓶に入った星の砂をもらったことがあって、それは嬉しかったな。言葉じゃなくて物だからかな。(ドライなのは俺か!)


誕生日会に呼ばれた時の嫌な記憶もある。それも小学生の時だった。当日いきなり学校で誘われた。パーティーの招待にしてはあまりにラフな、昼休みに遊ぶ約束みたいな感じのお誘いだった。あの子にしてみればひとつでも多くプレゼントが欲しくて、私を誘ったのかもしれない。私はそういうのに誘われたのが初めてで、嬉しくて、帰宅して母に事情を説明し、プレゼントを買いに行った。ミニ四駆とかプラモデルとか、自分が貰って嬉しい物にしたかったけど、急な誘いだったし、親も社交的なタイプではなかったから、近所のスーパーでトラベル用歯ブラシセットを購入し、包装してもらうのが精一杯だった。彼の「これいらない」と、彼のお母様の「貰っておきなさい」というやりとりを私は忘れられない。とても恥ずかしかった。でも絶対その後使ったはずだ、、、、


「大学デビュー」なんて言葉があるが、かつての私は恥ずかしながらそっち側の人間だった。何もかもが新鮮で、その頃はよく呑んで語って、人の誕生日をバカみたいに祝ったりした。あまりに辛い現代社会の現実と当時の私のお調子の良さとのギャップを考えると、全くもって良い思い出ではない。


大学を出てからはアルバイトしながらダンスを続ける日々。貧乏暇無し生活。自転車操業のような毎日を送るうちに、何のために自分が生きているのか分からなくなってきてしまって、なんにも面白くなくなってしまった。誕生日が近づくと、自分が生きてる理由を探さなければ、誕生日をちゃんとやり過ごせないような気がして、ずっと息苦しかった。そんな風に生きてきた結果、いつの間にか誕生日は私にとって試練となっていた。


ところがどっこい、親になってからの私は、子どもが1つずつ歳をとることに希望を感じ、子どもの誕生日にはその希望を盛大に湛えた笑顔を振り撒いている。私の人生も折り返し地点を迎え、少しでも長く子どもの未来に携わりたいと強く思う。子どもの誕生日を心から祝うのと同じように、子どもたちが祝ってくれる私の誕生日のことも心から大切にしようと思う。

誕生日という試練は予期せぬ形で終わったが、また新たな別の試練が訪れるはずだ。だから、希望が溢れる日は恥ずかしがらずに盛大にハッピーにお祝いしよう。

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